二人の主人公は、まるで“アリとキリギリス”
これまで大きな冒険をすることなく、他人のため堅実に働き続けてきたクレールと、お酒やギャンブルが大好きで、後先は考えず風のように生きてきたベアトリス。見事なまでに対照的で、「アリとキリギリス」のような二人を描いたこの作品をプロヴォ監督は寓話だと語る。「僕らはみんな、アリとキリギリスの両面を少しずつ備えている必要があるのでは? という問いかけを、ユーモアを交えながら作品に込めたつもりなんだ」
プロヴォ監督は続ける。「正反対の彼女たちは、少しずつお互いの違いを補い合い、知恵を共有し合っていく。ぶつかり合いは怖いけど、避けてばかりはいられない。人は衝突があってこそ、お互いの違いを理解できるものだ」と。
受け入れること、変わること
正反対の二人の関係性は、物語が進むにつれ不思議と変化していく。クレールは第二の母を、ベアトリスは生まれて初めて娘を手に入れることで、いつしか互いに、今まで誰にも埋められなかった心の隙間を埋め合う存在となる。それは、誰にも予想できなかった奇跡の化学反応だろう。失われた時間を取り戻した彼女たちは、二人の共通点である一人の男、クレールにとってはあまりにも唐突に消えてしまった父親で、ベアトリスにとっては人生で唯一本気で愛したその男を、それぞれのやり方で思い出すシーンだ。「過去を水に流すことは、未来を受け入れること。クレールにとっては新しい人生の始まりで、ベアトリスにとっては人生の穏やかな最期ということになるね」と監督は語る。
監督が助産師を主人公にしたかった理由
クレールの職業を“助産師”にしたのには理由があったと、プロヴォ監督は言う。それは、彼がこの世に生を受けた瞬間まで遡る。「僕自身が生まれた時、助産婦に命を救ってもらったんだ。彼女は自分の血液を輸血してまで、僕が生きることに身を砕いてくれたんだよ。感謝の気持ちでいっぱいだ」と。プロヴォ監督は2年前に母親から自身の誕生秘話を聞いて、すぐにその助産婦を探しに行ったが、手がかりは残っていなかった。彼女は既に亡くなっていたのかもしれない。そこでプロヴォは、自分のやり方で彼女に敬意を表し、この映画を彼女に捧げたのだ。